みんな大好きコシヒカリ。コシヒカリと聞いて連想される言葉としては、「おいしい」「もちもち」「新潟県」等が思い浮かぶのではないでしょうか。「おいしい」「もちもち」は良いとして、「新潟県」が連想されるのは、少し興味が沸くところです。当然、コシヒカリが新潟県で誕生したと思っている方が多いのですが、実はコシヒカリ発祥の地は福井県です。新潟県と同じ北信越地区に位置する福井県で、昭和28年に完成しました。福井県ってぼんやりとしたイメージしか無い都道府県だけど、コシヒカリ発祥の地、福井県っていったいどんなところなんだろう?
この記事ではそんな福井県をテーマに、福井県の魅力を余すところ無くお伝え出来ればと思います。
福井県民も知らない?福井県のアレコレ。
福井県は北陸3県(福井・石川・富山)の一つ
福井県は本州の中部に位置し、県庁所在地は福井市となります。人口は令和5年1月で約75万人程度となっており、17の市町で構成されています。石川県・岐阜県・滋賀県・京都府と隣接しており、北陸地方・中部地方・近畿地方の文化を色濃く受け継いでおります。県内全域が温暖湿潤気候でありますが、日本海側気候であるので県内全域が積雪地域に指定されています。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町は全国屈指の積雪量を誇る地域でもあり、スキー場のメッカとして有名です。
日本海側に雪が降りやすいのは、北西の季節風の影響を大きく受けているからなのよ
特に北陸地方は、日本海の暖流の影響を強く受け、多くの水蒸気を含んだ空気が日本列島の山々に上昇気流となって上昇し、気温が下がって水滴となり、雨や雪になるみたい。
福井県内に住んでいると、ニュースや天気予報などで「嶺北・嶺南」と言う言葉をよく耳にします。主に福井市を中心とした嶺北地区と小浜市を中心とした嶺南地区とを指した言葉なのですが、元々は越前・若狭と別々の国だったのが、廃藩置県の際に統一され福井県になった歴史から区分されているのです。使っている言葉(方言)や文化等が少し異なりますので、訪れた際には、それらの違い等も含めて、興味を持って頂けたらと思います。
嶺北地区は北陸電力の管轄で福井弁。嶺南地区は関西電力の管轄で関西弁の影響が強いらしいよ
「~しよっさ」「ほやのー」のように福井弁には独特のイントネーションと方言がたくさんあるよ。
福井に遊びに来た時には、地元の人と話してみるのも面白いね!
お出かけも嶺北の人は北の金沢へ、嶺南の人は京都・大阪へ向かう傾向があるみたい
ここがすごいぞ!福井県
福井県は、日本総合研究所が60もの指標の統計データを用いて分析した、都道府県幸福度ランキングで、2014年から3回連続で日本一となりました。高い教育水準や経済・雇用環境・子育て支援等が評価されている結果となっております。幸福度ランキング以外にも、「○○で全国一位」に当たるものをいくつかピックアップしてご紹介してみたいと思います。
✭社長輩出率、全国一位
人口10万人あたりの社長輩出率が35年連続で一位。サイバーエージェントの藤田晋社長(鯖江市出身)や、アパホテルの元谷芙美子社長(福井市出身)は福井県出身として有名ですが、住友グループや高島屋の創業者の方も坂井市・敦賀市出身の方であります。
✭平均貯蓄率・貯蓄額、全国一位
総務省の「全国消費実態調査」(平成26年)によると、福井県の平均貯蓄率は全国一位で、全国平均10.7%のおよそ2倍にあたる、21.7%となっております。三世代同居率が一位であったり、女性の就業率が全国平均と比べても高い水準をキープしている事等が、貯蓄率・貯蓄額の底上げに貢献しているのではないかと考えられています。
✭焼き鳥の消費量、全国一位
福井市で創業された「やきとりの名門 秋吉」は、福井県民のソウルフードの一つとなっており、平日でも予約が必須となる程の人気を誇っています。週末も大量のお持ち帰り注文が入っているのが当たり前となっており、県民に広く親しまれております。全国に100店舗以上を展開しており、東京・大阪などの首都圏でも訪れる事が可能なので、興味のある方はお近くの秋吉を訪れて、福井の味を堪能してみて下さい。
当たり前の事なんだけど、秋吉以外にも福井県内には焼き鳥屋さんが多いのよね
秋吉の味と食べ比べてみて、秋吉派かそうでないか、意見が分かれるのも面白いよね。
でもやっぱ、みんな焼き鳥大好きなんだね
他にも、「油揚げの消費量、購入金額全国一位」とか、「子どもの体力全国一位」「有効求人倍率全国一位」等、紹介しだしたらキリが無い程、全国一位にあふれています。皆さんのお住まいの都道府県にも、「○○で全国一位」はたくさんあると思いますので、地元自慢の一つとして、調べてみても面白いかもしれません。
幸福度ランキングは、その年によってランキングが変わるので、毎年ずっと一位って訳でもないみたいだね
2019年は三位、2020年は四位だったんだけど、2022年には再び一位に返り咲いたみたい。
2022年は、同じ北陸地方の石川県が二位・富山県が四位だったんだって。北陸の三県ってスゴイ!
福井県と聞いて思い浮かぶものは?
全国の男女100名以上を対象に、インターネット上でアンケートを募った結果、福井県と聞いて思い浮かぶ物としては、以下の物が多かったそうです。
越前ガニ・東尋坊・恐竜・めがね(鯖江)・若狭湾・永平寺
海産物・越前そば・三方五湖・鯖街道・羽二重餅・朝倉氏遺跡
ソースカツ丼・水ようかん・へしこ・五木ひろし 等々
パっと見渡してみると、観光名所が多い印象ですが、食べ物も海産物を中心にそれなりにバラエティーに富んでいます。人物として五木ひろしさんがランクインしているのには少し驚きました。福井の偉大な大先輩と言った所でしょうか。その内、バドミントンの山口茜さん(勝山市出身)や、メジャーリーグで活躍の吉田正尚さん(福井市出身)がランクインする時代が来るかもしれませんね。
私は、食べ物で真っ先に思い浮かぶのは、越前そばって感じがするなー
日本三大そばには上げられていないけど、越前おろしそばは1年中冷たい蕎麦で食べられているみたいだね!ソースカツ丼とセットって感じで、みんなに親しまれているね
観光名所は、歴史的な繋がりが多いのかなー
次は歴史にスポットを当てて、福井の魅力を探ってみよう
福井の歴史
嶺北・嶺南にあたる越前・若狭を中心に、歴史的な流れを見てみると、7世紀後半にはすでに若狭国・越前国が成立していたと考えられており、若狭湾で精製された塩が都に献上されていた記録が残っているそうです。福井平野に多くの荘園が記録されている事から、古くから穀倉地帯として盛んであったと思われます。13世紀に道元が創建した永平寺は、雲水(うんすい:修行僧の事)の方々が、開創から770年経った今日においても、厳しい修行を行っている曹洞宗(禅宗)の大本山として有名です。
戦国大名 朝倉義景と織田信長とのつながり
応仁の乱以降の15世紀後半には、戦国大名で有名な朝倉氏が越前国を掌握していましたが、1573年織田信長に滅ぼされるまでの約100年間程の栄華となって終わりました。因みに、織田信長の家系である「織田一族」の出自は、「越前町織田地区」とされており、尾張守護代として活躍した藤原将広が、越前から尾張に移住する際に「織田」の地名を名字とし、織田家の誕生に繋がったと言われております。他国で大々名となった織田家が、越前国に戻って来て再び支配する事となった点を踏まえると、織田家と越前との間には、数奇な運命を感じざるを得ませんね。
朝倉氏が治めていた一乗谷は、今も一乗谷朝倉氏遺跡として城下町全体が良好に現存・復元されており、日本最大の中世都市遺跡として観光する事が出来ます。その近くにある一乗滝は、佐々木小次郎がツバメ返しを会得した場所とも言われており、落差12メートルを有する滝は、周りの景色も相まって、荘厳な雰囲気を堪能する事が出来ます。(左:佐々木小次郎像 右:一乗滝)
江戸時代の福井県
江戸時代に入ると、68万石を有する越前国(北ノ庄藩)の初代藩主として、結城秀康(徳川家2代将軍、徳川秀忠のお兄さん。新鬼武者の蒼鬼として有名です)が統治する事となりますが、この北ノ庄藩が後に福居藩と改称され、現在の福井の名前の由来として繋がっているそうです。時を同じくして、若狭の国の小浜藩主であった京極高次が著した「市場仲買文書」には、「生鯖塩して担い、京行き仕るに候」という一文があり、これが鯖街道という名称に由来すると言われております。もっとも、鯖街道自体は、13世紀前後から存在していたと考えられております。
結城秀康は、越前国の絹織物業の発展に大きな影響を与えた人物だそうだね
玉紬(たまつむぎ)が北荘紬(きたのしょうつむぎ)、結城玉紬(ゆうきたまつむぎ)へと改良・変化していき、献上品として定着していったそうだよ
これが、近代明治の紡績産業の発展へと繋がっていくんだね
東郷米はお殿様も食べていた?
北ノ庄藩(福居藩)のお殿様は、代々東郷地区で栽培されたお米を食べていたと言われています。東郷地区の田んぼは、水はけの良い砂壌沖積土壌の田んぼが多く、粘土質の田んぼと比べて稲作を行う上で、バクテリアの分解効率や、残存酸素のバランス等の条件が整いやすく、良いお米が獲れやすいといった事を、昔の人は経験の上で知っていたという事が証明されています。
明治に入ると、廃藩置県の影響により福井藩や勝山藩・大野藩等、現在の市町村の基となっている藩制度が廃止され、それぞれ福井県・勝山県・大野県等が設置されます。数年後には福井県・敦賀県の2県になりますが、時代時代に編入・再編を繰り返し、現在の福井県が形成される運びとなります。この時代には、繊維・織物業が福井県の産業を大きく支える柱と成長し、以後近代の繊維産業の発展に寄与する事となります。
コシヒカリと福井・新潟との関係
コシヒカリは昭和19年に新潟県農事試験所で農林22号と農林1号という品種を人工交配された所から、誕生の物語が始まります。いもち病に強く収穫期の籾の色が良い農林22号と、収穫量が多く品質と食味が良いが、いもち病には弱い農林1号との、両方の長所を併せ持つ品種の育成が目的でした。
交配により得られた種子(雑種第1代)は、翌年栽培される予定でしたが、戦時下の人手不足の為栽培が出来ず、昭和21年に雑種第1代の栽培が行われ、選抜が進められる事となります。その選抜された65株の内20株(雑種第3代)が、昭和23年に福井県農事改良実験所(現在の福井県農業試験場)に引き継がれ、育成される形で福井県での研究開発がスタートしました。引き継いだばかりの矢先、マグニチュード7.1の大地震(福井地震)が昭和23年6月28日に福井を襲います。地震の影響で田んぼの液状化や用水路の破壊等がありましたが、受け継いだ20株の雑種第3代は無事で幸運にも被害を免れました。
この地震の影響で水不足に陥った所が多かったそうだね
たまたま水はけの悪い湿田に植えられていた事が、功を奏して生き残れたんだって
20株の雑種第3代は、5年の歳月を経て「越南14号」「越南17号」へと改良され、この越南17号が後のコシヒカリへと繋がります。当初、越南17号は食味や品質は良いが、倒れやすい欠点があったので、福井県では県の奨励品種としては見送られる事となったのですが、この越南17号を奨励品種として採用したのが、新潟県と千葉県でした。(昭和30年)
この時代のお米は、倒れた稲の穂先から芽が出ても、米の価値が著しく落ちる品種がほとんどであったのに対し、越南17号は倒れやすい欠点はあったとしても、倒れた後の稲がほとんど傷んでいない事がわかり、穂の実りも充実していて、食味も品質も極端に落ちない事がわかりました。栽培方法を確立して欠点を克服する事で、「新潟米」のブランドを高める事が出来るという方向性の基、新潟県産コシヒカリのブランドは生産者の方の不断の努力も相まって、全国に定着するに到ったのです。
越南17号は、農林100号の番号で登録される事となり、「越の国(北陸)に光り輝く品種」となることを期待されて、「コシヒカリ」と命名されました。ここに日本を代表するお米の品種であるコシヒカリが誕生する事となりました。
福井や新潟の研究者や生産者の努力があってのことなのね
越の国が光り輝く“コシヒカリ”って良い名前だね!
千葉県も頑張ったので、千葉県産のコシヒカリも応援してね
タナカ農産グループのある福井市東郷地域について深堀り
我々タナカ農産グループがお米作りをしている福井市東郷地域は、福井県農業試験場から約6km程しか離れておらず、コシヒカリが生誕した環境がほぼ整った場所です。
さらに、福井平野が山麓地帯より開ける福井市の南東、足羽川を北側に臨む肥沃な扇状地です。養分たっぷりの〈雪解け水〉が流れ、“あらし” と呼ばれる特有の川風も吹きます。“あらし” が夏場にもたらす昼夜の寒暖差は、質の良い米づくりには欠かせません。また、栽培にもこだわり、肥料には牛糞や鶏糞等の動物性のものは一切使いません。牛や鶏などの飼料に含まれる化学物質や薬品が、糞に残留しているからです。私たちは菜種かすや大豆かす、そして稲わらや籾殻など天然由来のもののみを使用して、土づくりをします。お米がもつ本来の力を最大限に引き出す有機栽培・無農薬栽培に取り組んでいます。
「青田と子どもは褒められぬ」
意味:どんなに出来良く見えても、収穫(大人になる)までは気が抜けないことの心得
こんなことわざがあるように、安全・安心なお米を安定して収穫することは簡単なことではありません。その年々よって栽培方法を考えながら、手間暇を惜しまないことを心得として栽培に取り組んでいます。
追々になりますが、タナカ農産グループが地域を挙げて行う、無農薬・有機適合肥料栽培について東郷ってどんなところをテーマにその歴史や環境を深掘ってご紹介していきたいと思います。
有機JAS認証米・無農薬・特別栽培米
運営会社:タナカ農産グループ
〒910-2173
福井県福井市下東郷町15-45
TEL:0776-41-3737
FAX:0776-41-3318
メール:tanaka@tanaka-gr.com
受付時間:平日 9:00~17:10
〒910-2173 福井県福井市下東郷町15-45
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